2008年03月28日
▲ヒマラヤの虜になった私▲ ~初めてのネパール編~
ネパールへ行くことに決めた!
インドから帰国し、大学の友人から、コレラ、赤痢などとからかわれる、肩身の狭い日が暫く続きました。
インドで聴いた『ネパールは良い所』という言葉が、毎日頭の中から離れません。
とうとう、9月半ばになったある日、後輩と一緒に以前チケットをお願いした旅行会社を訪れ、ネパール行きのチケットを申し込みました。
初めてのネパールと言うことで、就航したばかりのロイヤルネパール航空を利用し、上海経由で、同日の夕刻にネパールへ行くことにしました。今では考えることが出来ないですが、当時コックピットにも入りました。
ネパールへ出発!
11月初旬、ネパールへ。到着後、空港内でビザを取得し、入国スタンプが押され、ターンテーブルで預けた荷物を受け取り、空港の外へ。あたりはすっかり暗くなっていました。
外に出た瞬間、私がとても苦い経験をした、あのインドに戻ってきたような錯覚に陥りました。
そこには、たくさんのタクシードライバーやホテルの客引きなど、うじゃうじゃ居るのです。大きな瞳で、私たちを見入っているのです。インドから逃げてきた自分が何故再びインドに居るんだと思いました。
でも何とかしなきゃ・・・
と考えていると、機内で知り合った日本人に、すがる気持ちで何処のホテルが良いか教えてもらい、一緒にタクシーでタメル地区(安宿街)へ行きました。
私と後輩にとっては、全く初めての場所。全て知り合った日本人に任せてついて行きました。
今晩泊まるゲストハウスも考えること無く、彼に言われるとおりに同宿しました。
ドキドキする不安だらけの気持ちで、初めてのネパールの夜を迎えました。
明日からどのようにしていけば良いのだろうと、不安と心配ばかり。
あの時聴いた【ネパールは良いところ】は本当だったのだろうかと、疑いました。
あまりにもたくさんの刺激があった1日は、私たちを疲れてさせたのでしょう。
いつの間にか眠ってしまいました。
次回に続きます・・・お楽しみに
2008年03月24日
ヒマラヤの虜 【インド編 ③】
当時インド旅行者の中では、何年インドを旅行しているかによって、その人の尊敬度が決まりました。日本から来たばっかりの私は一番下。入り口に一番近いボロボロなベッドが私に与えられた唯一の場所でした。
常に私は、インド旅行の達人の声に耳を傾け、何も分からないインドに来てしまったことを後悔しながら、安宿の天井ばかり見て毎日を過ごしていました。
数日が経ち、私を助けてくれたおじさんが、『ネパールは良いぞ。一度行ってみろ』という言葉をかけてくれました。その言葉が耳から離れることが出来ず、私はネパールに行きたくなりました。
お金も殆ど無く、騙され続けた大嫌いなインドからの帰国時、私は露店で食べたパンで、お腹をこわしてしまいました。離陸前からトイレ通いが始まり、飛行中ずっと私専用のトイレを確保することに・・・。
経由地のスリランカに着いたら救急車に乗せられ、1週間の野戦病院のような病院で入院することに。たった1週間の入院生活で14キロも痩せてしまいました。
その後、病気も治り、日本へ帰国することになりましたが、空港の検疫に引っかかり、3日間の監視有りの自宅軟禁へ。保健所の人に大変お世話になってしまいました。
ヒマラヤトレッキングのことなら専門店のサパナにお任せ下さい。ご質問もどしどし下さい!
常に私は、インド旅行の達人の声に耳を傾け、何も分からないインドに来てしまったことを後悔しながら、安宿の天井ばかり見て毎日を過ごしていました。
数日が経ち、私を助けてくれたおじさんが、『ネパールは良いぞ。一度行ってみろ』という言葉をかけてくれました。その言葉が耳から離れることが出来ず、私はネパールに行きたくなりました。
お金も殆ど無く、騙され続けた大嫌いなインドからの帰国時、私は露店で食べたパンで、お腹をこわしてしまいました。離陸前からトイレ通いが始まり、飛行中ずっと私専用のトイレを確保することに・・・。
経由地のスリランカに着いたら救急車に乗せられ、1週間の野戦病院のような病院で入院することに。たった1週間の入院生活で14キロも痩せてしまいました。
その後、病気も治り、日本へ帰国することになりましたが、空港の検疫に引っかかり、3日間の監視有りの自宅軟禁へ。保健所の人に大変お世話になってしまいました。
ヒマラヤトレッキングのことなら専門店のサパナにお任せ下さい。ご質問もどしどし下さい!
2008年03月19日
▲ヒマラヤの虜になった私▲ ~インド編~ ②
【前回の続き・・】
彼と一緒にツーリストガバメント(政府観光)と書かれた旅行会社へ。
私の目の前で、勝手にインド観光ツアーの予約がされ、お金の請求!
キャンセル(自分は申し込んでいない)しようと怒鳴ってもダメ!
お金を払わずに外に出ようとすると入り口に大きな人が立っていて・・・
結局キャンセル料としてツアー代金全部取られて開放されました。
『インドに来たことの後悔』の言葉が頭の中をぐるぐる回っている状態で、宿探しをしていたら、
日本人のおじさんに出会い、彼 が泊まるゲストハウスへ。
うす汚い部屋に4人の先客がいました。
おじさんの取り計らいで、ここに宿を決め、どのようにしていいか分からないインドでの生活を送り始めました。
ヒマラヤトレッキングのことなら専門店のサパナにお任せ下さい。
ご質問もどしどし下さい!
2008年03月18日
▲ヒマラヤの虜になった私▲ ~インド編~ ①
▲ヒマラヤの虜になった私▲ ~インド編~ ①
私がヒマラヤの虜になってしまった理由をご紹介したいと思います。
今から14年前に初めて、ネパールに来ました。【海外旅行2度目の時】
何故ヒマラヤに来ることになったかというと、その年の夏休み、インドへ観光の目的でバックパックを背負って、
個人旅行をしたのが始まりです。
当時、この地域のガイドブックが無いに等しかった為、『何とかなるさ』という気持ちだけで、
旅行していました。それが後で大変な目に・・・。
先ずインドの空港で、当時英語の出来ない私は税関の職員から目の敵にされ、賄賂攻めにあいました。
賄賂を公然と要求してくるのです。いつになったら通過できるか分からない為、我慢できず泣く泣く賄賂を渡し、
何とか税関を通過。
空港の外に来て、街へ行くバスを探していると、タクシードライバー達に囲まれ、
自分がスーパースターになったかの気分でいる間に、リュックから荷物が1つなくなっていました。
公共バスに乗り市街地へ。やっと辿り着いたニューデリー駅周辺の安宿街。
インド人が、私のへこんだ顔をみて親切に日本語で声をかけてくれ、
彼にすがるような気持ちで、食堂へ行って愉しくご飯を食べました。すっかり彼と友達になったのですが・・・
続きます・・・
ヒマラヤトレッキングのことなら専門店のサパナにお任せ下さい。
ご質問もどしどし下さい!
私がヒマラヤの虜になってしまった理由をご紹介したいと思います。
今から14年前に初めて、ネパールに来ました。【海外旅行2度目の時】
何故ヒマラヤに来ることになったかというと、その年の夏休み、インドへ観光の目的でバックパックを背負って、
個人旅行をしたのが始まりです。
当時、この地域のガイドブックが無いに等しかった為、『何とかなるさ』という気持ちだけで、
旅行していました。それが後で大変な目に・・・。
先ずインドの空港で、当時英語の出来ない私は税関の職員から目の敵にされ、賄賂攻めにあいました。
賄賂を公然と要求してくるのです。いつになったら通過できるか分からない為、我慢できず泣く泣く賄賂を渡し、
何とか税関を通過。
空港の外に来て、街へ行くバスを探していると、タクシードライバー達に囲まれ、
自分がスーパースターになったかの気分でいる間に、リュックから荷物が1つなくなっていました。
公共バスに乗り市街地へ。やっと辿り着いたニューデリー駅周辺の安宿街。
インド人が、私のへこんだ顔をみて親切に日本語で声をかけてくれ、
彼にすがるような気持ちで、食堂へ行って愉しくご飯を食べました。すっかり彼と友達になったのですが・・・
続きます・・・
ヒマラヤトレッキングのことなら専門店のサパナにお任せ下さい。
ご質問もどしどし下さい!
Posted by メタボ at
20:48
│Comments(0)